History

上勝町ゼロ・ウェイストの歴史

01.

自然に還す暮らし~野焼き時代
〜1997 年

02.

小型焼却炉~脱焼却炉時代
1998 年〜2002 年

03.

ゼロ・ウェイスト宣言〜
リサイクル・リユース推進へ
2003 年〜2016 年

04.

ゼロ・ウェイスト推進〜
リデュース、企業連携の時代へ
2017 年〜

01.

自然に還す暮らし~野焼き時代

〜1997 年
昔はほぼ自給自足の暮らしをしていた上勝町の人々。
生活に必要なものは木や竹などで作り、ごみはほとんど出ませんでした。
戦後、プラスチックなどの工業製品が普及し始め、
家庭では処理しきれなくなってくると大規模な野焼きが始まりました。
昭和4年、町内の商店。商品の包装は紙だった

第二次世界大戦以前、上勝町の家庭から出るごみは、生ごみ、紙、金属、ガラスなどでした。生ごみは家畜のえさ、堆肥化、川への投棄などで処理され、金属、ガラス類には買い取り回収がありました。新聞紙は商店が品物を包むのに使い、ちり紙も焚き付けとして利用するなどし、ごみになるものはほとんどなかったといいます。また、桶や籠などの日用品も、身近にある木や竹などを使って作り、修理をしながら使い、最後には燃やしたり土に還すことができました。要らない物は大雨のときに川へ流したという話も聞きますが、自然に還る素材だからできたことともいえるでしょう。
戦後に始まる高度経済成長期、上勝町にも徐々にプラスチックなどの工業製品が入ってきました。物が安く簡単に手に入るようになり、要らなくなった物は自宅の庭先で焼くようになります。また、1975年前後から、現在のゴミステーションがある日比ヶ谷で自然発生的に野焼きが始まりました。火事が何回も起こったため町が管理するようになり、20年以上、公然とごみの野焼きが続いたのです。当時は生ごみ、タンス、布団、タイヤ、冷蔵庫や車まで、何でも燃やしていたため悪臭がひどく黒い煙が昼夜問わず立ち上っていたといいます。
日比ヶ谷の野焼き場(1990 年代)
町の補助で電動生ごみ処理機が普及した
上勝町で最初に実施したごみ減量策は生ごみでした。現代においても一般的に可燃ごみの中でもっとも重量を占めるのは生ごみです。この生ごみを燃やさないため、1991年、町はコンポスト購入の補助制度を作りました。その後、電動生ごみ処理機も対象となり、当時8万円した電動生ごみ処理機は、1万円の個人負担で購入できるようになりました。生ごみを家庭で処理することが浸透したおかげで、現在でも上勝町のゴミステーションはごみの匂いがなく、資源も汚れずに分別しやすくなっているのです。
法の規制や様々な環境問題の表面化により、野焼きの継続が難しくなってきました。野焼きは止めたいけれども、ごみ処理に多額の費用(税金)をかけることはできません。上勝町は1994年、ごみを減らすための「リサイクルタウン計画」を策定しました。 容器包装リサイクル法が施行された1997年、上勝町は「日比ヶ谷ゴミステーション」を開設して、缶、びん、ペットボトルなど9分別の資源回収(毎週日曜、持ち込み方式)を開始しました。初めて分別を経験する町民への普及のため、役場職員は集落を回って説明し、ゴミステーションでの分別にも立ち会って、丁寧な説明やサポートを行いました。
1997 年 9 分別がスタート

1974年  日比ヶ谷残土処理場を、暫定ごみ処理場として利用開始
1991年  生ごみ処理容器(コンポスト)購入補助制度開始(自己負担 3,100 円) ~1999 年まで
1994年  「上勝町リサイクルタウン計画」策定
1995年  電動生ごみ処理機(ゴミナイス)購入補助制度開始(自己負担 1 万円)
1996年  日比ヶ谷処理場一部閉鎖(不燃・粗大ごみの埋立廃止)
1997年  日比ヶ谷ゴミステーション開設、9 分別開始

02.

小型焼却炉~脱焼却炉時代

1998 年〜2002 年
野焼きでごみを処理していた上勝町ですが、
2000年には廃棄物処理法改正で禁止されることが決まりました。
そこで上勝町では2基の小型焼却炉を導入します。
しかし、その焼却炉もわずか3年で使用できなくなり、
町は本格的に多分別の道を歩み始めました。
1998 年 小型焼却炉を導入し、野焼きは終わった



1998年、野焼き場閉鎖の方針を決めた町は、ごみの量に合った小型焼却炉を2基導入することになりました。しかし焼却炉で燃やした後の灰は3日ごとにドラム缶1杯分たまり、その処理に困るという新たな問題が発生します。燃やすごみを少しでも減らそうと、担当職員はリサイクルできそうな物の引き取り先を懸命に探し、1998年の末には分別の種類は25種類にまで増えました。

家庭での野焼きも禁じられ、持ち込みでの資源・ごみ収集が始まると、困ったのは高齢者や車を持たない世帯です。その解決策を見出したのが、ボランティアグループ「利再来(りさいくる)上勝」でした。「ごみを持って行ってもらう人」と「ごみを持って行く人」を募集して、同じ集落内で組み合わせました。町民の助け合い精神が、ごみ処理の課題をひとつ解決したのです。現在では町が実施する「一般廃棄物運搬支援制度」に移行されましたが、単にごみを運搬するだけではなく、高齢者の見守りにもなっており、助け合い精神は今も受け継がれています。
車のない高齢者は運搬支援制度が利用できる
焼却炉はわずか 3 年しか使えなかった

上勝町が小型焼却炉を設置したのは、ちょうど有害物質ダイオキシンが大きな社会問題となっていた頃でした。2基の焼却炉から排出されるダイオキシンを測定すると、1基が不適正という結果が出ました。適正だったもう1基を使い続けることもできましたが、当時の町長は焼却炉を2基とも閉鎖し、燃やすごみをもっと減らすために、分別を更に増やすという決断をしました。それが2000年12月のことです。しかし、町民に説明する猶予は1ヶ月しかありませんでした。担当課の職員は数名で全55集落を回り、必死に説明をしたそうです。その想いが届いたのか大きな混乱や反対運動もなく、2001年1月に焼却炉は閉鎖され、33分別、そして4月から35分別が始まりました。

1998年  小型焼却炉2基設置、日比ヶ谷焼却場(野焼き)閉鎖
      高齢者のごみ運搬を支援するボランティア団体「利再来上勝」が活動開始
2001年  小型焼却炉を閉鎖、日比ヶ谷ゴミステーションが毎日開設、33分別(のちに35分別)開始

03.

ゼロ・ウェイスト宣言〜リサイクル・リユース推進へ

2003 年〜2016 年
野焼きも焼却炉も使えなくなり、
上勝町はごみの多分別という独自の道を歩み始めました。
そんな時、一人のアメリカ人化学者との出会いが、
上勝町を日本初のゼロ・ウェイスト宣言へ導きました。
2003 年 ポール・コネット博士の講演会が行われた


上勝町は法規制や財政上の理由から「ごみをできるだけ燃やさないために多分別をする」という独自のごみ処理を始めました。その噂を聞きつけてやってきたのが、アメリカでゼロ・ウェイストを提唱し、焼却炉の建設計画を中止に導いてきた化学者のポール・コネット博士です。博士が町で行った講演で、町民は初めて「ゼロ・ウェイスト」の理念を知り、話に釘づけになりました。そして、博士の勧めを受けた上勝町は2003年、日本の自治体として初めてのゼロ・ウェイスト宣言を行いました。町外の方からはよく、「宣言をしたから多分別をはじめた」と誤解をされますが、上勝町では宣言よりも前から多分別を行っており、その素地があったからこそ宣言につながったのです。

2005年、ゼロ・ウェイスト達成に向けた取り組みを推進するため、行政主導でNPO法人ゼロ・ウェイストアカデミーが設立されました。ゼロ・ウェイストアカデミーはゴミステーションの管理を行いながら、現場での普及啓発に努めました。
ゼロ・ウェイストを推進するうえで、リサイクルよりも大事なのがリユースです。ゼロ・ウェイストアカデミーは「くるくるショップ」という無料のリサイクルショップをオープンさせました。ごみを捨てに来たついでにくるくるショップに寄ることは、町民の楽しみの一つにもなっています。
また、「くるくる工房」というリメイクショップも開設され、使用済み鯉のぼりを利用した商品が人気です。ほかにも、イベントに使うリユース食器の無料貸出なども始まりました。
くるくるショップに持ち込まれたものは、ほぼ 100%リユースされている
旧ゴミステーション。町民が分別をしやすいように改良を続けた
町とゼロ・ウェイストアカデミーは、協働でごみ減量策を推進していきました。その一つとして、「雑紙ポイントキャンペーン(後のちりつもポイントキャンペーン)」があります。焼却ごみに4割近く紙が混ざっていることが判明したため、紙資源を分別するとポイントが貯まり、日用品や商品券等と交換ができる仕組みを整備しました。その他にも調査と実践を繰り返し、2016年、上勝町のリサイクル率は遂に80%台に到達しました。
2003年  ゼロ・ウェイスト宣言
2005年  NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー発足
2006年  リユース推進拠点「くるくるショップ」開設
2007年  リメイクショップ「くるくる工房」開設
2008年  リユース食器の無料貸出開始
2013年  雑紙ポイントキャンペーン開始
2016年  公式分別数を34分別から13種類45分別に変更
      リサイクル率が初の80%台達成

04.

ゼロ・ウェイスト推進〜リデュース、企業連携の時代へ

2017 年〜
ごみの 45 分別でリサイクル率 80%を達成した上勝町。
これからの目標はそもそもごみになる物を減らすこと。
そのために町内の事業所や大手メーカーとも連携し、
様々な取り組みを始めています。
町内のカフェでは調味料などを量り売りしている

上勝町民は徹底した分別に協力してくれています。リサイクル率は、消費者にできるレベルの限界に近づいています。ごみとなるものを根本的に減らすため、一番大事なことはリデュース(そもそもごみになる物を減らす)です。
上勝町内では事業所の協力で、量り売りなど容器包装を必要としない売り方や、レジ袋の削減を推進してきました。また、どうしても燃やさなければならないものの一つである使用済み紙おむつを減らすため、子どもの産まれた家庭には布おむつセットをプレゼントする制度もできました。布おむつの使い方の説明を通して、ごみの減量だけでなく子育てのサポートにも取り組んでいます。
上勝町ではゼロ・ウェイストに取り組んでいる事業所の頑張りを多くの人に知ってもらうため、2017年にゼロ・ウェイスト認証制度を始めました。この制度は購買力が個人よりも大きな店舗がゼロ・ウェイストに取り組むことで、より大きな「消費者の声」にするのが狙いです。事業所の取り組みを見える化することによって、上勝町のゼロ・ウェイストを学びに来た人たちがお店に足を運ぶという経済効果も生まれています。
町内の廃材を利用したクラフトビール店は人気のスポット
2020 年に完成したゼロ・ウェイストセンター
上勝町のゼロ・ウェイストは、「世界中に広く仲間をつくること」を目指してきました。ゼロ・ウェイストに関心を持つ消費者を増やし、製造者が作った物に最後まで責任を持つ社会をつくること。そのために大手メーカーとも協力し実証実験を始めています。社会の経済システムにゼロ・ウェイスト精神を浸透させるためのチャレンジです。
上勝町は日本の自治体として初めてゼロ・ウェイスト宣言を行った自覚と誇りを持っています。私たちの取り組みをさらに多くの人に知ってもらうため、2020年に「上勝町ゼロ・ウェイストセンター」という複合施設を新設しました。この小さな町から、ゼロ・ウェイストの輪を世界に広げていきたいと考えています。

2017年  ゼロ・ウェイスト認証開始
      量り売り実証実験開始
      布おむつスターターセット進呈開始
2018年  ノー・レジ袋キャンペーン開始
2020年  上勝町ゼロ・ウェイストセンター完成